──オクターブ奏法に命を吹き込んだ男の生涯と音楽──
生い立ち:インディアナ州から生まれた音楽一家の星
1923年3月6日、ジョン・レスリー・モンゴメリー(通称ウエス・モンゴメリー)はアメリカ・インディアナ州インディアナポリスに生まれた。彼は決して裕福な家庭ではなかったが、音楽に溢れた家族の中で育った。兄モンク・モンゴメリーはベーシスト、もう一人の兄バディ・モンゴメリーはピアニスト/ヴィブラフォン奏者としても知られ、三兄弟でジャズ界を牽引する存在となった。
ウエスがギターに触れたのは19歳の頃。遅咲きと思われるが、彼は独学で腕を磨き、チャーリー・クリスチャンのソロを耳コピで完璧に再現するようになっていった。昼は工場で働き、夜は地元のクラブで演奏。睡眠時間を削って練習に打ち込む姿勢は、まさに「努力の天才」であった。
キャリアのスタートとライオネル・ハンプトン楽団
1948年、ウエスはライオネル・ハンプトン楽団に加入し、初のプロキャリアをスタートさせる。当時の彼の演奏はすでに「ピックを使わず親指で弾く」独特なスタイルを確立していた。この奏法は、昼間の工場勤務後、夜遅くに演奏する際、近所に配慮して音を抑えたのがきっかけとされている。
このスタイルはやがて「親指奏法」として伝説となり、温かく丸みを帯びた音色を生み出す要因ともなった。
ブルーノートからリヴァーサイド時代へ:黄金期の始まり
本格的に注目を集めたのは1960年、リヴァーサイド・レコードからリリースされたアルバム『The Incredible Jazz Guitar of Wes Montgomery』。この作品で彼は完全にその名をジャズ界に刻みつけた。トミー・フラナガン(ピアノ)、パーシー・ヒース(ベース)、アルバート・ヒース(ドラム)とのコンビネーションも見事で、ギター・トリオの可能性を一気に引き上げた。
さらにライブ盤『Full House』(1962年)は、モブレーやケリーらとの緊張感あふれるセッションが収録されており、ジャズギター史に残る傑作となっている。
スモーキン・アット・ザ・ハーフ・ノートとケリー・トリオ
1965年にリリースされた『Smokin’ at the Half Note』は、ウィントン・ケリー・トリオとのライブ共演。ジャズギターの「教科書」とも言われ、ジャズを志す多くのギタリストが耳にする名盤だ。収録曲「If You Could See Me Now」や「Four on Six」などでは、コードワーク、オクターブ奏法、単音ソロの切り替えが見事に融合しており、ギター一本でメロディとハーモニーを奏でるその妙技が光る。
ポップス路線と「A Day in the Life」
キャリア後半、モンゴメリーはVerveやA&Mレコードに移籍し、オーケストラとの共演やポップス寄りの作品を多く発表する。代表作『A Day in the Life』(1967年)はビートルズの同名曲を取り上げ、全米ジャズチャートで大ヒットを記録。賛否は分かれたが、彼の音楽がジャズリスナー以外の層にも届いたという意味では大きな意義がある。
この時期の演奏ではテクニックに走ることなく、あくまでメロディの美しさ、トーンの柔らかさを重視した彼の姿勢が垣間見える。
プライベートとエピソード:家族想いの努力家
ウエス・モンゴメリーは、名声を得た後もインディアナポリスを離れず、家族を第一に考えていた。「ツアーを断ってでも家族のそばにいたい」と語っていたことは有名だ。彼は酒もタバコもやらず、慎ましく温厚な人物で、演奏スタイル同様、彼の人間性も多くの音楽家から敬愛された。
また、彼は楽譜が読めなかったという逸話もある。耳だけを頼りに、すべての曲を覚え、解釈し、独自のフィーリングで演奏していたという。技術的な知識よりも、音楽への直感と感性に長けた真の「ナチュラル・ボーン・プレイヤー」だった。
突然の死と伝説の始まり
1968年6月15日、ウエス・モンゴメリーは心臓発作により、わずか45歳でこの世を去った。その早すぎる死にジャズ界は大きなショックを受けたが、彼の残した音源と奏法は今なお多くのギタリストに影響を与え続けている。
ジョージ・ベンソン、パット・メセニー、ラリー・カールトン、リー・リトナー…ウエスを敬愛するミュージシャンは枚挙にいとまがない。
ウエス・モンゴメリーの名盤おすすめ(初めての人向け)
- The Incredible Jazz Guitar of Wes Montgomery(1960)
まずはこれ。初期ウエスのすべてが詰まった決定盤。 - Smokin’ at the Half Note(1965)
ライブの臨場感と完璧なインタープレイ。 - A Day in the Life(1967)
ジャズ初心者にも聴きやすいポップス・アプローチ。 - Full House(1962)
スリリングで熱気あふれるライブ盤。
使用機材:ウエス・モンゴメリー・サウンドの秘密
ウエス・モンゴメリーの温かく丸みのあるトーンは、その演奏技術だけでなく、選び抜かれた機材と独特のアプローチによって生み出されていた。
● ギター:Gibson L-5 CES(カスタムモデル)
ウエスが愛用していたメインギターは、Gibson L-5 CES。フルアコースティックタイプの高級ジャズギターで、太くて甘いトーンが特徴。ボディはメイプル、指板はエボニー。1950年代後半から使用し、晩年にはカスタム仕様に変更されていた。
- 仕様のポイント:
- フルホロウボディ(生鳴りも豊か)
- シングル・フロントピックアップ(リアは使用せず)
- トーンを絞り気味にした、ミッド寄りのセッティング
ちなみに、彼はギターのリアピックアップ(ブリッジ側)は使用しておらず、常にフロントピックアップのみで演奏していた。これにより、よりウォームで「声のような」音色が得られたという。
● 弦:フラットワウンド弦
モンゴメリーはフラットワウンド弦(表面が平らな巻き弦)を好んで使用していた。これにより、音がより滑らかでサステインも伸びる。親指奏法との相性も良く、弦のタッチノイズが出にくいため、クリアで美しいトーンを保てる。
● アンプ:Fender Super Reverb、Standelなど
使用アンプについては諸説あるが、主に次のようなモデルが知られている:
- Fender Super Reverb
4発の10インチスピーカーが生むパンチとリバーブ感が特徴。中音域が豊かで、モンゴメリーのトーンによく合った。 - Standelアンプ(Solid State)
クリーンでナチュラルな出音を求める彼は、一部の録音でトランジスタアンプ(真空管ではない)を使用したとも言われる。温かさよりもクリアさを重視する場面ではこちらを選んだ可能性も。
● ケーブル・エフェクト
モンゴメリーはエフェクターを一切使わず、ギターとアンプを直接つなぐシンプルなスタイルを貫いた。ケーブルも特に特殊なものではなく、スタンダードなシールドケーブルを使用していたとされる。
このように、ウエス・モンゴメリーのサウンドは「高級機材で固められたもの」ではなく、「シンプルで洗練された道具を、極めて深く使いこなす」ことにより成り立っていた。すべては“タッチ”と“音楽性”の延長であり、機材はその表現を支える「道具」に過ぎなかったのだ。
共演プレイヤーとのセッション:ジャズ界の“対話”に光る職人技
ウエス・モンゴメリーは基本的にソロ・アーティストとしての印象が強いが、彼のキャリアにはジャズの名手たちとの名セッションが数多く存在する。彼は決して「前に出るタイプ」ではなかったが、共演者との対話の中で、その包容力のある演奏がいっそう輝いていた。
● ウィントン・ケリー・トリオとの共演
【アルバム:Smokin’ at the Half Note(1965)】
このアルバムは、ウエス・モンゴメリーと**ウィントン・ケリー(p)、ポール・チェンバース(b)、ジミー・コブ(ds)**という、元マイルス・デイヴィス・クインテットのリズム隊との共演盤。ニューヨークのクラブ「ハーフノート」でのライブ録音で、彼のライブ感あふれるインタープレイが堪能できる一枚。
とくに「No Blues」「Unit 7」では、ケリーの軽快なピアノと、モンゴメリーのオクターブ奏法がまるで会話するように絡み合う。緊張感と親密さを両立した、ジャズ史に残る名演である。
● キャノンボール・アダレイとのセッション
【アルバム:Cannonball Adderley and the Poll Winners(1959)など】
サックス奏者キャノンボール・アダレイとは何度か共演しており、ウエスの演奏が「ブロウ系のジャズ」にもしっかりフィットすることを示した。アダレイの豪快なソロの後ろで、ウエスがコードとリズムを丁寧に支え、必要な場面では滑らかに前へ出てくる。
● ブラザーズとの共演:モンク&バディ・モンゴメリー
兄弟によるユニット「モンゴメリー・ブラザーズ」名義でのアルバムも多数存在。
- 『The Montgomery Brothers in Canada』(1961)
- 『Groove Yard』(1961)など
この兄弟セッションでは、家庭的でリラックスしたムードの中に、テクニカルかつ繊細なやり取りが詰まっている。特に『Groove Yard』はモダンジャズにおけるギタートリオ+ピアノの傑作とも言える一枚。
● ミルト・ジャクソンとの共演
【アルバム:Bags Meets Wes!(1962)】
ヴィブラフォン奏者ミルト・“バグス”・ジャクソンとの共演アルバム。
この作品では、ウエスのギターとヴィブラフォンが絶妙に溶け合い、華やかでありながらクールなセッションが展開される。ミルトのパーカッシブな音と、ウエスのまろやかなトーンが、互いを引き立て合っている好例だ。
セッションに見えるウエスの「人柄」
ウエス・モンゴメリーはどんなプレイヤーとも柔軟に調和できる音楽性を持っていた。その秘訣は、派手な技術ではなく「聴く力」だと言われる。彼は相手の音をよく聴き、必要なら一歩引き、時に前へ出てリードする——その絶妙なバランス感覚こそ、セッションプレイヤーとしての彼の真骨頂である。
その結果として、多くの共演者が「彼との演奏は自然で、温かくて、深い」と語っている。
おわりに:親指一本でジャズを変えた男
ピックを使わず、譜面も読まず、耳と指先だけで世界を魅了したウエス・モンゴメリー。彼の奏でたギターは、ただの音ではない。「心の声」であり、「人生の鼓動」である。今でも彼の音を聴けば、温かく優しいあの音色に、心が包み込まれる。
ウエス・モンゴメリーは、今もジャズの中で生き続けている。