- ギターキッズの憧れ?いや、それだけじゃない
- ギター少年ポールの原点 〜 生い立ちと音楽との出会い
- デビュー前から片鱗を見せていた才能
- レーサーXで炸裂した超絶技巧
- 世界的成功を収めたMr. Big時代
- ソロアーティストとしての進化と挑戦
- ポール・ギルバートの“道具”を覗いてみよう
- ポール・ギルバートのファッションは“ギター愛”の延長線
- 彼の魅力は“人とのつながり”にもある
- 共演ギタリストたちとの“化学反応”も見逃せない
- テクニックだけじゃない、“ポール・ギルバートの人の好さ”が伝わる心温まるエピソード集
- 音楽だけじゃない、人としても尊敬されるギタリスト
- まとめ:まずはこの3曲を聴いてみてほしい!
- 終わりに
- ポールギルバートのインスタグラム
ギターキッズの憧れ?いや、それだけじゃない
「ポール・ギルバートって、速弾きがすごい人でしょ?」
そう答える人が多いのは確かだ。だが、彼の魅力は単なる速弾きにとどまらない。テクニックの裏にある“芯のある音楽性”、人柄に滲む“親しみやすさ”、そして“楽しさ”への飽くなき追求。今回はそんなポール・ギルバートというギタリストの真の姿を、デビュー前から現在まで辿りながら、その凄みを掘り下げていきたい。
ギター少年ポールの原点 〜 生い立ちと音楽との出会い
1966年、アメリカ・イリノイ州カーボンデールに生まれたポール・ギルバート。幼少期に一家はインディアナ州に移り、そこでポールはギターと運命的に出会う。
彼がギターを始めたのは5歳の頃。だが真剣にのめり込んだのは10歳からで、70年代のハードロックに影響を受けながら、すでに「将来はギタリストになる」と決めていたという。
14歳になる頃にはすでにかなりの腕前で、ヴァン・ヘイレンやランディ・ローズをコピーしながらテクニックを磨いていった。
その後、ロサンゼルスの名門「GIT(Guitar Institute of Technology)」に入学。なんと17歳で入学し、18歳で最年少の講師となる。ここで彼は“教える才能”にも目覚めていく。
デビュー前から片鱗を見せていた才能
GIT在籍中から音楽業界の注目を集めていたポールは、若手の中でも一際異彩を放っていた。というのも、彼の演奏には「とにかく速い」だけでなく、「音楽として成立している」バランス感覚があったからだ。
幻のバンド「Tau Zero」での活動や、学生仲間とのセッション音源も存在するが、当時からそのプレイには“完成された何か”があった。
また、教則ビデオや講義で見せた「誰でもわかるように伝える力」も、のちの人気の土台となる。真面目でユーモアもあり、やたら親しみやすい──そんな“人柄”もまた、彼の魅力のひとつだ。
レーサーXで炸裂した超絶技巧
そして1985年、ポールは「Racer X(レーサー・エックス)」を結成。ここで一気に“ギターヒーロー”としての名声を確立する。
とにかく速い。しかも正確。そしてリズム感が異常に良い。まるでメトロノームと融合したかのようなピッキングと、クラシカルなフレーズを高速で繰り出すネオクラシカルなプレイスタイル。
代表曲「Technical Difficulties」や「Scarified」などでは、ギターを触ったことのある人なら誰もが舌を巻くような技巧が詰め込まれている。
しかし彼の凄さは、それを“遊び心”で包んでしまうところだ。機械のように冷たい速弾きではなく、どこか「音楽って楽しいだろ?」というメッセージを感じさせる。
世界的成功を収めたMr. Big時代
1989年、ポールはベーシストのビリー・シーンと共に「Mr. Big」を結成。ここで彼のキャリアは一気に世界規模になる。
「Addicted to That Rush」「Daddy, Brother, Lover, Little Boy」など、超絶技巧とキャッチーさを融合した楽曲で人気を博す。
そして1991年、「To Be With You」が世界的ヒット。アコースティックなバラードながら、ポールのギターワークは随所で光り、ポップスの中でも“ギタリストの魂”を忘れていない姿勢が見て取れる。
Mr. Bigでは単なる技巧派ではなく、“バンドとしてのカラー作り”や、“ステージでのパフォーマンス力”にも優れていた。まさに“ギタリストの枠を超えた存在”としての地位を築いたのだ。
ソロアーティストとしての進化と挑戦
Mr. Big脱退後、ポールはソロアーティストとして数多くのアルバムをリリース。中でも「Flying Dog」シリーズは、彼の“歌心”と“変態性”が両立した名盤として知られている。
奇想天外な構成、変拍子、ポップセンス──彼の音楽性は一層自由度を増し、「何でもアリ」の境地へと突き進む。
また、歌うようなフレージングや、時にコミカルな演出も取り入れつつ、ギタリストとしての本質は決してブレていない。テクニック一辺倒ではなく、“聴かせる力”こそが彼の真骨頂だと感じさせる作品群だ。
近年では「The Dio Album」など、ヘヴィメタルへのリスペクトを込めた作品も発表しており、ギター愛に満ちた活動は今なお止まらない。
ポール・ギルバートの“道具”を覗いてみよう
ギターはもちろんIbanez(アイバニーズ)のP.G.Mシリーズが象徴的。特徴的な「Fホールのペイント」が印象的で、1990年代以降も多数のモデルが発売された。
アンプはLaneyやMarshallを愛用し、ピックは比較的厚め。指ではなく、ピックで精密に刻むスタイルが彼の速弾きを支えている。
また、MXRのフェイザーやイコライザー、Keeleyのコンプレッサーなど、エフェクターにも明確なこだわりがある。
地味だが、ケーブルやストラップの選び方にも丁寧さが感じられ、「ギター=自分の声」として扱っていることが伝わる。
ポール・ギルバートのファッションは“ギター愛”の延長線
ポール・ギルバートのファッションは、ひと言でいえば“脱・ロックの決まりごと”。
80年代当時のHR/HM系ギタリストといえば、革ジャンや黒づくめ、パンク風の髪型が定番だったが、ポールはどこか“ゆるさ”を感じさせるファッションで異彩を放っていた。
若い頃は派手なステージ衣装も多かったが、どこかコミカルで、「ギターを本気で楽しんでる人」という印象を強めていた。ギターに合わせてペイントされたシャツや、機材柄のTシャツ、さらには変わった帽子やサングラスも彼の“演出”の一部だったりする。
近年では、カジュアルなジーンズにTシャツ、ストリート寄りのスニーカーなど、肩の力が抜けたスタイルが中心。とはいえ、ギターのデザインやカラーとリンクしたアイテムをさりげなく取り入れていたりして、“ギターを中心に全身をコーディネートしている”ような印象を受ける。
彼のファッションには、「ギタリストだからこうあるべき」ではなく、「音楽を楽しむ姿勢を見せたい」という自由な精神が感じられるのだ。
彼の魅力は“人とのつながり”にもある
ポールは孤高のギタリストではない。むしろ、人とのつながりを大切にするタイプだ。
Mr. Bigのメンバーはもちろん、マイク・ポートノイ(元Dream Theater)や、若手ギタリストとのコラボなど、幅広い世代と接している。
また、ギター講師としての顔も健在で、YouTubeでのレッスン動画や、ギターセミナーでは相変わらずの軽快トークと真面目な教え方を見せてくれる。
こうした“開かれた姿勢”も、彼が長く愛されている理由の一つだろう。
共演ギタリストたちとの“化学反応”も見逃せない
ポール・ギルバートのキャリアを語るうえで欠かせないのが、「他のギタリストとの共演によって生まれる化学反応」だ。彼は多くの名ギタリストたちと共演しており、それぞれのスタイルとぶつかり合うことで、より一層の魅力を放ってきた。
▶︎ イングヴェイ・マルムスティーン
ネオクラシカル速弾きの元祖ともいえるイングヴェイとの共演は、まさに技巧のぶつかり合い。G3のツアーなどで共演した際には、クラシックとロックの融合という共通点を持ちながらも、ポールの“軽やかさ”が良い対比となっていた。
▶︎ ジョー・サトリアーニ & スティーヴ・ヴァイ(G3)
G3というギタリストの祭典では、ポールはサトリアーニやヴァイともツアーを回っている。彼らとの“3人ギタージャム”はギターファンの夢のような映像であり、ステージ上で見せるリスペクトと楽しさがにじむやり取りは圧巻だ。
▶︎ リッチー・コッツェン(Mr. Big時代の後継者)
ポールの後任としてMr. Bigに加入したリッチー・コッツェンとは、直接のバンド共演は少ないものの、互いにソロ活動で意識し合っていた存在。ブルース・ソウル寄りのコッツェンと、テクニカルかつ歌心重視のポール。ファンの間では「好対照な天才」として並べて語られることも多い。
▶︎ ブルース系/若手ギタリストとの共演も多数
近年では、ブルース・ロック寄りのプレイヤーやYouTube出身の若手ギタリストたちとも共演しており、「年齢やジャンルを問わずギター愛でつながる」というスタンスを貫いている。
例:ジャレッド・ジェームズ・ニコルズ、ゲスリー・ゴーヴァン、Tosin Abasi などとのセッションも高評価を得ている。
ギターバトルというより“共演”を楽しむ姿勢
ポールの共演スタイルは、「勝ち負け」や「誰が速いか」といったバトル的なものではない。むしろ、相手の音楽性を尊重しながら、そこに自分のスタイルを自然に溶け込ませる。
彼はよくインタビューでこう語る。
「ギターバトルじゃなくて、ジャムセッションのほうがずっと楽しい。音楽って会話だからね」
そんな彼のスタンスは、多くのミュージシャンからの信頼にもつながっている。
ただテクニックがあるだけじゃない、“音楽を楽しむためのギタリスト”として、ポール・ギルバートは誰とでも真剣かつ楽しげに音を交わせるのだ。
テクニックだけじゃない、“ポール・ギルバートの人の好さ”が伝わる心温まるエピソード集
速弾き、変拍子、超絶テク…。ポール・ギルバートの凄さはテクニックの塊に見えるかもしれない。でも、彼を知る人は口をそろえてこう言う。「ポールは、めちゃくちゃ良い人」──。ここではそんな“人間味”あふれるエピソードを紹介しよう。
▶︎ サイン会での神対応:「名前を聞いて、ありがとうを伝える」姿勢
ポールはファンサービスでも有名で、サイン会では一人ひとりのファンに笑顔で対応する。その場で名前を聞いて、丁寧にメッセージを書き、「来てくれてありがとう」と握手やハグまでしてくれる。
ただ“こなす”のではなく、“その人と繋がる”ことを大事にするのがポール流だ。
▶︎ 通訳が間に合わない時も笑顔:「たぶん、気持ちはわかったよ!」
日本でのイベントで通訳が追いつかない瞬間でも、ポールは微笑んで「I think I understand!(わかった気がするよ)」と軽くジョークを飛ばしてその場を和ませる。
相手の英語が不完全でも、「通じようとしてくれてありがとう」という空気がにじんでくる──彼の“人を尊重する姿勢”がよく現れている瞬間だ。
▶︎ “教えること”にも愛がある:「うまくなるより、楽しむことが大事」
GIT(ギター・インスティテュート)で最年少講師になった頃から、ポールは「教えること」への愛情を持っている。
テクニックをひけらかすのではなく、「どうすれば“楽しく練習できるか”」を常に考えてレッスンを組み立てる。
「練習が苦しいと感じたら、もっと遊び心を取り入れてみよう」──そんな言葉に、ポールの優しさと実直さがにじむ。
▶︎ 子ども向けのギター教室でボランティア演奏
ある時、ポールはアメリカ国内で開かれた子ども向けの音楽教室イベントにボランティアで参加し、ミニコンサートを開いた。
難しいテクニックを披露するのではなく、子どもでも知っている曲を分かりやすく演奏し、「音楽って楽しいんだよ」と伝える。
そして質問コーナーでは、子どもたちの素朴な質問にもニコニコしながら丁寧に答え、終わったあとも参加者と記念撮影をしながら全員にサインをしていたという。
▶︎ 東日本大震災の直後、日本に来てチャリティライブ
2011年の東日本大震災後、多くの海外アーティストが来日を見送るなか、ポールは真っ先に日本へ来日し、チャリティイベントに出演した。
彼は「日本は自分にとって大切な国。少しでも元気を届けられたら」と語り、アコースティックでのパフォーマンスを披露。
このときのMCやインタビューでも、終始「僕が日本から受け取ったものは大きい。その恩返しがしたい」と話していた。
その誠実さに、涙したファンも少なくなかったという。
音楽だけじゃない、人としても尊敬されるギタリスト
ポール・ギルバートは、テクニックがすごいから評価されているわけじゃない。
“どう弾くか”よりも、“誰にどう届けるか”を大切にしているからこそ、多くのファンやミュージシャンから長年愛され続けているのだ。
ギターが上手くなりたい人だけじゃなく、「音楽を心から楽しみたい」と願うすべての人にとって、彼は最高の“先生”であり、“ヒーロー”なのかもしれない。
まとめ:まずはこの3曲を聴いてみてほしい!
最後に、「ポール・ギルバートってどこから聴けばいいの?」という人のために、まずはこの3曲をおすすめしたい。
- Technical Difficulties(Racer X)
→とにかく速弾きの凄さを体感したいならコレ! - Green-Tinted Sixties Mind(Mr. Big)
→キャッチーでポップ、それでいてギターが光る名曲。 - Let the Computer Decide(ソロ)
→遊び心と変態性の詰まった、まさにポール節炸裂の1曲。
終わりに
ポール・ギルバートは、ただの“テクニカル系ギタリスト”ではない。
その芯には、音楽を愛する心と、それを共有したいという純粋な想いが詰まっている。
だからこそ、彼のギターには「音が生きている」と感じる瞬間があるのだ。
ぜひ一度、じっくり耳を傾けてほしい──ポール・ギルバートという名のギター愛に。
ポールギルバートのインスタグラム
彼のインスタグラムではギタープレイをリールでアップしていたりするので
思う存分プレイを見ることができます。